「森と語る」 佐藤清太郎さんのお話


エピローグ
 森の協働ネットに参加されている、秋田森の会 風のハーモニー 代表佐藤清太郎さんのお話しが放送(NHKラジオ)されました。
 佐藤清太郎さんは、今年62歳、父から受け継いだ森林のうち、30ヘクタールを、15年前健康の森と名付け会員に開放しました。
 場所は秋田市の中心部から、南におよそ15キロ、日本海に面した下浜駅から東に4キロの都市近郊型の里山地区です。
 現在300人が登録。年間を通して利用している。また保育園など15施設の園児たちのため、森を開放、年間延べ2000人の子どもが訪れています。
 しかし、そのために特別な施設を作らず、森と共存する接点を探っています。
 佐藤さんの考え方を一言でいえば、安全・安心の森はない。大自然の中で人間がコントロールできるものではない。だからこそ、森の声を聞いて森と共存していかなければならないということであります。
ではお話しをお聞きしましょう。



 聞き手(河野ディレクター) 今、新緑の森の地べたに座り込んでお話しをしていますが、木々の緑が雨上がりの逆光のなかで光っています。この葉っぱの大きいのは何の木ですか。

佐藤清太郎さん(以下、佐藤とします) これはホオのきです。ほかにタラのき、スギ、サクラ、桐など。山のてっぺんのほうにはマツの木があります。松枯れ(松食い虫)にやられているが、強いものは一部生き残っています。

聞き手 背の低い木は何ですか。

佐藤 サクラです。花が終わり、今は葉だけ。一方、今はワラビがでてきており、山菜の一番良い時期です(注、5月11日収録)。

聞き手 ここまでお宅から2キロですが、森の広さはどれくらいですか。

佐藤 健康の森と称しているのは、30ヘクタールです。会員制にして開放しているのは、事故などが起きないように、顔が見える形にしているためです。
 なお、怪我などしないよう自己管理をお願い。当初いろいろ作業をしたいとかの希望があったが、先ず森と友達になることを勧めました。先ず体験、森の声を聞くことです。
 30ヘクタールの森は、人間がつくった森と自然の森があります。つくったものが良いか、自然の森が良いか、これも見てもらいます。
 道を特に作らず、けもの道のようなところを歩きながら、自分の行きたいところにいき、何かを求める。
 今までは、林業という形で森作りをしてきて、生活のためにやってきたが、人間が楽しめる森ということになると、そこにあるものを大事にしながら付き合って行くべきで、また森の側から見て望ましい人間の行動を伝えなければならないと思います。

聞き手 森の代弁者ということですか。

佐藤 出来ればそうでありたいと思います。

聞き手 きっかけは。

佐藤  今になれば、いろいろ理由付けもしますが、実際は、子どもの時、祖父に連れられてきて、以来段々森に親しんできたわけで、理由など無いというほうが、事実です。
 当時、子どもの遊び場はなく、山菜取りなどで自然に親しむのが普通。その頃の日本人に共通していたと思うが、両親は仕事で忙しく、家族の団らんもままならず、自然と親しむことが一般的であったと思うが、それが自分にとっては、森で遊ぶことでした。
 少々いたずらしても怒られない。山菜などのお土産をもってかえれば、おばあちゃんに喜ばれる。

聞き手 そうすると代々林業ですか。

佐藤  林業専業ではなく、この辺は皆、農家林家ということです。
まず食べ物の確保が大切、木は毎年収入になるわけではないので、農業と兼業が普通。家業については、5人の子どものうち男の子は自分1人。家を継ぐことは、既定路線でした。祖父は手に職を持たせることが必要と考えていました。小学校に入るころから朝6時ころには起きて、手縄(藁縄)を30メートル位、なうことを練習したものです。さらに庭掃除をして学校へ。むしろ勉強すると家業を継がずどこかに行てしまうということで、祖父は、勉強より先ず仕事を覚えろという方針であった。
 しかも、単なるトレーニングではなく、祖父はそれを買い取ってくれ、そのお金を小遣いにすることが習慣づけられていました。
 そんなことで本人は高校進学の気もなかったが、叔父や親の勧めで農業高校に行くことになりました。
 卒業後、6ヶ月、県外実習生として長野県に行きました。その時に、自分の力やまた自分の家の良さの発見もありました。
 それ以来、積極的に、米づくり、林業、切り花生産に打ち込むようになりました。キノコづくりもやりました。

聞き手 長野での体験は。

佐藤 普通の農家の積もりで行ったら、昭和38年だったが、諏訪の精密機械工業などの地域の中で、百合やカーネーションなどの花作りをやっている農家でした。いろいろ勉強をして、秋田に帰って花づくりをやった。 最初は収入を林道づくりなどにつぎ込みました。
 花は短期勝負であり、じっくり取り組めるものとして林業に打ち込むようになりました。 現在は農業も厳しくなって農山村が潰れる恐れがあります。農山村、田舎を見直すことが大切と思います。

聞き手 健康の森の発想は。

佐藤 1991年に健康の森をつくったが、その年の9月28日に風台風が来て、木がなぎ倒され、長年の努力が一瞬で破壊される様を見た。人間がつくって大丈夫と思っていた森が崩壊した。木が倒れる前に売つておけば儲かったかも知れないが、林業のための森づくりは、一夜で崩壊するような森づくりであったということを考えれば、ほんとうに森のことを考えて林業経営をしてきたとはいえないのではないかと思います。
人間は自分の健康を考えるが、森の側からみれば森にも健康という問題があるだろうと思います。
 この時、私は林業から森林に転換したといえます。人間がつくったものではない木が台風にも勝っている。人間が森を支配するのではなく、森と仲良くしたほうがよい。
 素直に森を見たらと思った。スギが良い、ヒノキが良いといっているのは、人間のかってというものであるが、森から見た人間は森に害を与える存在ということになるかも知れません。

聞き手 森の立場を考えるという発想はわかります。では森を開放してどうしようとしたのですか。

佐藤 皆さんに本物の森を見てもらい、仲良くしてもらえばよい。木を植えるとかいうことより、素直に恩恵を受けるところから始まれば良いのです。
森の健康、はバランスの問題ではないか。つまり、針葉樹もあれば、広葉樹もある。人間の健康もお金があることではなく、心身のバランスではないか。
 森は森に来るものに平等に恩恵を与えてくれます。
 その中から、森の保育園構想が出てきました。
 森自身も、森に入った人も両方健康になります。
 問題は、誰がこのようなことを受け継いでくれるかということです。
 昨年、延べ2千人の園児がきました。15所の保育園、幼稚園です。
 先生が子どもに対して、あれをしていけない、これは危ないというのは、禁句ですよといっています。
 森の保育園は、泥んこになったり、町の公園や植物園で出来ないことがやれるところが特徴です。
 やりたいことをやらせることを、基本としてきたのが子どもに人気が出たと思います。
 子ども達にはカエルが一番の友達のようです。ものは捨てないとか、基本的なルールはあるがあまり細かいことは定めない。
 こどもは木を折ったりしないので、大人が子どもに従うようになる。大人と子どもが一緒の場合は子どもが優先です。
 昔は大人が子どもを森に連れてきたが、今は違います。
 雪が降っても、雨が降っても子どもは来たがる。安全・安心の森は子どもには人気がないかも知れません。子どもには、自然と闘う姿勢も教えておくのが良い。
 携帯は通じない。先生は何かあったら大変だというが、いろいろ自分がどう対処するかということを想定していないといけない。
 いままで事故は起きていないが、子どもだって自分で準備を整えているものです。
 町の親は、携帯がない。トイレがないというとパニックです。
 子どもに出来ても大人にはできない。
 朝、お早うございます。宜しくお願いします。といってやってくる時は、先生に頼っている様子が感じられる。しかし、これは変わる。
 今までの概念を壊すことが重要。例えば手を繋いで歩くのは禁止。傾斜地や獣道では、手を繋いで歩くと帰って危険であることを教えます。
 同じ帽子をかぶるのも、同じ上着を着るのも、個性をなくすので、基本的には反対です。
 森の中では野生に帰る。自由にする。しかし自分の身も守る。
 森で弁当を食べるときは、アリが集まってくる。こどもはアリを殺そうとする。これにはショックを受けました。アリは森の掃除人であることを教えました。だから森に来たときには仲良くしようと呼びかけます。そうするとご飯粒をくれてやって、どこまで運ぶかなどという遊びを覚えてくるものです。

聞き手 障害児童の受け入れもしているのですか

佐藤 ある保育園でダウン症などの障害児童を連れてきたいという話がありました。
私は施設の中で体験したことはないが、保育士さんの話では、森の中では活き活きとした行動が可能になるということです。実際に森の中での障害児童を見ている限り、普段出来ないことも容易に出来るということが理解できます。
 私にいわせれば、健常者のほうが、森の木を切ったりするので、森の側から見れば、まずいことをしているといえなくもないと思っています。
 今年の大雪の中、普通は数メートルしか歩けない子どもが2百メートルも歩けたんです。
 雪の中ならいくら転んでも立ち上がれば良いということですが、普段の生活では転ぶということを忘れている。あるいは転ぶと危ないというので、転ばないように気をつける必要があり、これが行動を妨げるという問題があるようです。
 また冬でなくても、泥んこになって這っていって、木に抱きついて立ち上がる姿も見ました。
 従って着替えは一式持参するよう徹底しています。
 汚れたら着替えることで、かぶれなどの防止も可能です。
 泥んこの衣類を持って帰るということをしているので、親が心配して見に来たいということが起きました。
 そのうち、親の方も童心に帰って森で遊ぶようになるので、年に一度の父兄に対するイベントは、親だけではなく、おじいちゃん、おばあちゃんまで参加するようになり、アッという間に百人以上の参加者になるという情況です。
 結局、森に木を植えるとか、森を利用するとかという理屈をつけて森に行くより、森が呼んでいるから行こうというのでよいと思います。
 木が無いところに植えるのなら良いが、近頃では、現に一杯生えているものを撤去してそこに木を植える人までいるのは行き過ぎというべきでしょう。
 森が発信しているものを受け止め理解するということが大切な考え方です。
森の木のように、自から移動することのできないものの価値を見つけることが大事だと思います。
 紅葉の前、紅葉の時というように、森の変化を見るために折々森を訪ねるのが良いわけです。
 
(2日目の放送)
聞き手 森の中を歩きながらちょっと平らなところに来ました。前に小さな池があります。大きなスギの木があります。木が裂けていますがどうしたのですか。 

 佐藤 このスギは落雷を受けたものですが。ここは神秘的な雰囲気の場所になっています。山の神が宿るというか、ご神木といえる木とさらに池が聖地のような趣を醸し出しています。
 ところで以前、東大の富良野の森をつくった高橋延清先生、通称泥亀先生に森と林の違いを教えてもらいました。すなわち、森とは、鎮守の森というように神仏が宿り、動物もいるようなもので大きな森には川も流れている、これが森である。
 人がつくったようなものは人工林というようないい方になります。
 森に対しては畏敬の念が湧いてくるものです。だから山の神のお祭りもしています。
 いずれにしても森にはいろいろな生命が宿っているということです。
 
聞き手 木鐸がありますね。

佐藤 これから森に入りますよという挨拶に使います。子どもたちが動物に対する挨拶として金属音ではなく木槌で音を出すのが良いと思います。

ところで、何でも外国から買ってきて、国内の資源を使わないのも変です。ここでは炭焼きもやっているが循環の原点に立ち返ってやるべきだと思います。

聞き手 炭焼きの煙、たき火の煙は懐かしい。

佐藤 木を燃やすときの煙と皆が持ってきたビニールを燃した臭いは、どっちがどうなのと聞けば直ぐわかることです。嫌いな煙が出るもので、包んで食べているんだよというと、イヤーというけれど、これも実際に体験して身に付くものです。笹の葉や、ホオの葉の良さがわかります。

聞き手 森を伐って災害を起こす、水害が発生する、これは森を怒らせているのですか。

佐藤 私も最近まで林業ということで自分も森を怒らせるようなこともやっていたわけです。大型機械を入れたり、道路を入れたりするために、水脈を断ち切ってしまう。断ち切らなくても、数分間で流すような水路をつくってしまう。
 産業だ、観光という名でやって来たことを反省する必要があります。これらをすべて否定するわけではないが、良く考えないといけない。
 木や森は水をつくるというが、木も森も水はつくれない。つまり、つくるのではなく保管する機能である。
 水が大事だなどといいながら緑のダムを壊してはいけない。
 森にゴミだとか廃棄物を捨てたりしていると、やがては、都会が泣くことになる。
 昔は森は循環する力があったのに、今はそれが無くなってしまった。

聞き手 森は浄化のためのフィルターの役割をしていたのですね。

佐藤 私はそう思います。そのことが忘れられています。
フィルターはつくれば良いんだというのが人間の奢りであろうと思います。

聞き手 森の立場を守るという佐藤さんの心がわかります。
ところで、この道は、グリーンシャワーロードという名前がついているようですが。

佐藤 雨が降ったとき、今都会の子どもは木のしずくにふれることができない。
ここにくれば、それが体験できるから、先生が帽子を被りなさいといっても、被らないで水滴を頭に受けて遊んでいます。
 また、薬草も生えている。害になる木もあるかも知れないが、その間を歩く。風があれば山椒のにおいが飛んでくる。

聞き手 小鳥の声、新緑の素晴らしさ。心の癒しの機能を森林は持つのでしょうか。

佐藤 森は人間だけでは無く、すべての生き物に恩恵を与えている。しかも山菜などのお土産までくれます。

聞き手 秋田の雪の中でスギの木を真っ直ぐに育てようというのは苦労があるのではないでしょうか。

佐藤 人間が真っ直ぐな木だけをつくろうとするから難しいのです。
二百年も三百年も掛かって台風もあれば大雪もあるなかで天然秋田杉ができる間に、いろいろなことに耐えてきて、秋田スギができたのです。
 いわゆる郷土樹種と呼べる木もいろいろあるわけですが、特定の木だけを育てようとしたり、自分の植えたものだけを大事にするやりかたは感心しないと思います。
 従来の林業家のやりかたを変える、つまり林業から森林経営という視点で行きたい。
 生活のため木を伐ることもあるが、その場合、直ぐ木を植える。自分も木の生長を楽しむという方向にやり方を変えました。
 今、間伐が問題となっているが、沢山植えて困っている。最初から植え過ぎなければ問題は起きません。

聞き手 今、木を植えても時間がかかる。気の長い計画が必要と思われますが。

佐藤 難しい問題ですが、私のように先ず食べるものはあるということになりますと、時給自足を原点として、長生きしながらやっていくとすれば、森そのものを大事にしながらやっていくことが基本になります。
 キノコでも何でも、スーパーに行けば手には入るが、待ちながら自然の恵みを受けるということも良いと思います。私はそのような生活が好きなんです。

聞き手 さて森から自宅に戻って、薪ストーブの温もりのそばでお話しを聞きましょう。

佐藤 今日歩いた森は持ち山の一部で他の森では林業もしています。今日のコースは片道2キロ、往復4キロ、これを2時間から2時間半かけて歩くことになります。
 森が語りかけるものを受け止める、対話可能となるには、体験の積み重ねが必要で、そのためには身近かな森としての里山が良いと思います。このような場所は全国に沢山あります。行政も提供を心掛けてくれれば良いと思います。
 また森に入る人もマナーと自己責任を身につけることが大事です。

聞き手 お話しを聞いていると森の経営は難しいものですね。

佐藤 人間が森を経営するというと林業になってしまうが、これを一歩進めて、森の中に入り、森の恩恵を受けるという森との共生を目指すのが私の考え方です。
 企業だったらこんなのんびりしたことは出来ないかも知れません。

聞き手 森林経営としてこれから目指すものは何でしょうか。

佐藤 今こそ、もっと人間らしい生き方をすべきであると思います。
自然の摂理の中で、動物たちが生きているように、しかも夢を追いながら、また循環がうまく行くようにお手伝いをしながら、後世に伝えて行くべきです。
 そのため人間は自給自足を基本に、森も人が入って森の良さがさらに発揮されるように、人が森を支えて行けば良いと思うのです。
 具体的には、炭焼きなどは森にとっても、地球環境にとっても良い方法です。
炭焼きは森と人間との関わりの原点ではないかと思います。つまり、森で育った資源をゴミにしないで、炭に焼いて人がエネルギーとして使うと同時に、森の土に返してやると、良い循環ができます。間伐材も炭になります。床下調湿剤としても使えます。炭を焼くということは木を燃やすのではなく、最初に熱を加えてやり、後は空気の供給を絞ってやると、自分の力で炭になるのです(注、木に熱を加えて温度を高めてやると熱分解という化学反応を起こし、有機物は煙になって水分とともに出ていき炭素を炭として残す)。また煙を冷やして一部を木酢液として回収できます。木酢液は農作物の虫除けその他多くの用途があります。
 ところで最近、多くの方に良く聞かれることは、森から何を得られるかということです。
 私は、子どもと一緒に森を歩くと、子どもから生きる力をもらうことができます。つまり、子どもには夢があり、野性本能もある。大人は長い人生の中で本能すら忘れてしまっています。子どもと森を歩くと、子どもが森のメッセージを伝えてくれます。これをまとめれば、「私も生きられる」ということになるでしょうか。木は年を取るほど素晴らしくなるというのに、人間は何故年を取ると衰えてしまうのだろうかと思います。森に行くことで若返り、元気で人生を過ごしたいと思っています。(以上)

注、2006年6月4日及び5日の2日にわたり、NHKラジオ第一放送、早朝4:05より一回45分間の時間で放送されたものを、佐藤さんのご了解を得て、要約したものです。(小澤普照 記)


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