豊かな森林が地球環境を守る

                 小澤普照(森の協働ネット代表)


 はじめに

 豊かな森林が地球環境を守るというテーマをいただいた。
 豊かな森林とはそもそも何ぞやということから書き出すと長くなってしまうので、ここではなるべく具体的な話題を提供して読者の皆様と共に考えるという視点で述べてみたい。
 さて、豊かな森林に囲まれて暮らしている我々日本人は、豊かな森林が地球環境を守るという言葉を聞いても、至極当たり前と思う人が多く、そのような森林があったらどんなに幸せだろうかとか、より豊にするにはどうすればよいかなどについて常日頃、真剣に考える人はどれくらいいるのであろうか。
 行動する人間が減少している現状を打開するには、人材の育成に尽きると考え、平成5年に森林塾を始めて十年以上経過したが、その活動が評価されたらしく、環境省の地球温暖化防止対策の一環として平成14年に設置された、環の国くらし会議メンバーに選任された。
 その後、環の国くらし会議は発展的に拡大し、現在では筆者もチーム・マイナス6パーセントの一員となっている。
 もちろんチーム・マイナス6パーセントとは、わが国の温暖化ガス削減目標からきていることはいうまでもない。
 環の国くらし会議などを通じて、いささかなりとも地球環境問題に貢献したということで、昨年(2005年)2月、小池百合子環境大臣から感謝状(記念牌)をいただき恐縮した。
 なお後述する、京都モデルフォレストの展開も、環の国くらし会議が京都で開催され、そこでの意見交換がきっかけになったものである。
  
 1) 森林がない地域での体験

 さて、世界の各地には森林に恵まれない地域が多いということは大方の日本人が知識として持つようになり、外国に出かけて行って植林活動をしようという人も増えているが、森林がないということが、実際どのように大変なことか、あるいは、そのような地域の人達が如何に緑を渇望しているかなどということは、体験してみないとなかなか分からないものである。
 そこで、はじめに最近経験した砂漠地域の情況を紹介することにする。
 日中間の国際協力プロジェクトの一環として、2004年12月、中国北京で2日間にわたり林業生態に関する人材育成のための両国合同のシンポジウムが開催され、筆者も講演者として参加した。
 日中双方から、講演や発表が行われたが、初日の、中国国家林業局幹部による講演が印象に残った。
 それは、日本の対中国ODA政策に関連する事柄であった。
 目覚ましい中国経済の発展状況から見て対中国ODA終息の時期が近づいているという報道は日本国内のみならず、中国でもなされ、いろいろな反響をもたらしていた。
 講演の中で出てきたのは、今まであまり公にされていなかった、他の諸国による森林関係の対中国援助の実態であつた。
 すなわち、中国に対し森林・林業について2国間援助を実施している国は、2004年時点において、日本以外では、ドイツ、オランダ、フィンランド、ニュージーランド、カナダ、オーストラリア、韓国、EUが挙げられるということであった。
 中国としては、今後ますます諸外国からの無償援助の獲得に努力をし、低利借款の積極的導入を図りたいとのことであった。
 これらの情報から考えて、日本の動きは、中国にとって、あるいは対中国援助を実施している諸外国にどのような印象を与えているのであろうか。
 或いは、新規に対中国援助を行おうとする国が現れる可能性はあるのだろうか。
 一方、わが国の今後のODAの扱いについては、国益論が顔を出して来ているが、そもそも国益論とは何ぞやということをじっくり考える時であろうと思う。
 また国益論をいう場合、身近な議論もあれば、長期戦略に基づいた議論もある。同時に国際動向の見極めも大切である。
 さらに、識者の意見として、国益と同時に地球益を考えるべであるとの声もある。
 地球益ということになると、地球温暖化や砂漠化防止対策に関連する緑の国際協力などは、その最たるものであろう。
 さらに踏み込んで考察するならば、国益か地球益かの二者択一論ではなく、両者は互いに密接な関係にあるともいえる。
 ところで、緑の国際協力は、後世に残るもの、つまり子孫のために行うこととして価値の高い分野であることは確かであろう。
 このため、真に持続する協力を可能にするのは、人間の力に裏打ちされた協力関係である。
 お金を主軸とする協力は、たとえ緑の協力であっても、お金が途切れるときはかなりトーンダウンすることは避けられないのではないか。
 もしODAの削減が避けられないとすれば、なおさらのこと、これからは人間力を傾注する仕組みを一層強化することが望ましい。
 相手国及びわが国双方の人材育成と人材活躍の舞台をつくるということを基本的戦略とすることが国益及び地球益を生み出すことに繋がっている。
 ところで、今年(2006年)の4月にシルクロードで知られる中国新彊ウィグル自治区を訪問する機会が得られた。
 年間の降雨量が20ミリ以下という、いわば無降雨の砂漠地域であるが、今やオアシスの維持や環境緑化に対する地域の熱意には並々ならぬものが感じられた。
 今年は黄砂の飛散が多く、全体が黄色っぽく見える。黄色い砂を手で掻きのけると、本来の褐色の地面が現れた。
 黄砂の発生源を見たいといったところ、黄砂はモンゴルから飛来するというのが現地の人の言であった。もちろん、科学的な確認が必要ではあるが、黄砂問題はともかくとしてもモンゴルの緑化問題も緊急性があり、最近モンゴルの植林問題には関心が集まっており、今後本格的な連携が必要と考える。
 ところで、新彊自治区において日中連携(小渕基金)の植林プロジェクトが新たに開始されたが、既にドイツ及び韓国による植林も実行されているとのことで、今回は韓国プロジェクトの実行地を見せていただいた。
 いうまでもないことであるが、植林には水が必要である。この地域では、必要な水は、標高5、6千メートルに達する天山山脈から流れ出す雪解け水が頼りである。
 この水を活かすことで、緑を維持し、人が住むことが可能になる。
 これまで、この地域では河川水なり地下水脈なり、水が得られる場所だけが人が住み、緑の環境が何とか形成され、維持されてきた。
トルファンの街を歩いているとポプラ並木が見える。近づいて見ると樹木は地面の土から生えているのではないことが分かる。
 階段を下りていくと地下に水路があり、水路脇の地面から樹木が生えているのである。
 地表に生育している樹木ももちろんあるが、これらは潅水する必要がある。スプリンクラーで樹林地に散水している光景も見ることができる。
 この地域の農産物としては、美味なハミ瓜(メロン)があるが、幅10メートル強、長さ100メートルは優にあるビニールハウスの中で栽培されている。
 また、干しぶどうの生産が大変盛んである。独特のレンガ造りのブドウの乾燥状場が目を引く。(写真D挿入)
 森林関係者には、600種の木本、草本類を集めたという砂漠植物園が興味深い。

 なお今回の植林プロジェクト(小渕基金)は、自治区の中心都市のウルムチの近郊、昌吉市に設定された。
 植林現地には、大人と共に大勢の中・高生も集まっていた。
地域の人達が厳しい自然条件の中で頑張ってくれることを願いつつ現地を後にした。
もっと植林プロジェクトを増やして欲しいという声はトルファンでも高く、読者の中に一肌脱ごうという方がおられれば是非申し出ていただきたいと思う。


天山山系の雪解け水が頼り
 

地域の大部分が砂漠である


世界最低地点にある砂漠植物園


中国韓国の植林協力プロジェクト


中韓プロジェクトの植林現地


砂漠の中の風力発電基地


 2) 豊かな森林を活かしきれない地域の話

 最近知った話を紹介しながら考えてみたい。
 英国のあるシンクタンク(New Economics Foundation)が「エコロジカルな負債が始まる日」というデータを発表した。
 内容は、それぞれの国における、自給自足カレンダーともいえるもで、生物的生産が可能な土地すなわちバイオキャパシティにおいて、一年のうち何時まで自給自足可能かを示すものである。
 このカレンダーによれば、日本は3月3日から食べられなくなる。英国は4月16日、米国は6月24日だという。
 また、人間が地球の環境収容力の範囲内で活動を行っているかどうかの議論がある。
 この評価指標が「エコロジカル・フットプリント」(EF)である。
 日本人一人当たりの資源消費のEFは、東京ドームほどの4.7haであり、世界全体に環境収容力を公平に割り当てた場合の2.3倍に達しているというのだ。つまり、世界中の人々が日本人と同じ消費水準で生活しようとすれば、地球が2.3個必要だという。
別のいい方をすれば、地球の環境収容力の分配の公平性を達成しながら、同時に地球環境を持続させようとするならば、日本人の資源消費量を平均的に現在の2分の1以下に下げなければいけないということになる。
 また東京都に視点をあてた場合、東京都のEF(東京都環境白書2000)は、都の面積の125倍ということであるが、この数字は東京都民のフットプリントと日本人1人当たりのそれが等しいという前提に立っている。国土交通省の推計は、都道府県別の推計であり、それぞれの資源消費量を反映しているとかんがえられるが、これによると東京都の2000年におけるEF面積は、都の総面積の276倍、国土面積の1.62に当たるという。
 さて、このような話は、観念的には理解しても現実の消費のシステムや生活の実態からして、これを是正すねために日々の行動に反映させることは容易ではない。
 一体どうすればわれわれは資源を地球環境的にコントロールすることができるのであろうか。
 あるいはまた、環境収容力を高めるという観点からの努力もなされるべきであろう。
 わが国の実情に照らし合わせて考えれば、地球環境と調和する、より有効な資源利用を目指すということが必要ということである。
 しかし、国際レベルで見て相対的に乏しい国内資源であるから、その利用効率高める努力に全力を傾注する必要があるというのに、現状は、とてもフル利用の段階に達しているとはいえない。
 農地や森林も利用度が低下して放棄地も多い実態にある。風力発電や太陽エネルギー利用のような環境調和型の方策についても取組のレベルはまだまだというべきであろう。
 森林資源の利用については、特に顕著である。
 年間の木材総消費量に匹敵する成長量がありながら、自給率20パーセント前後の状態が続いていることの改善もままならない。
 木質材料として利用することを主目的とする人工林については、より積極的な循環利用が望ましいが、この際、地球環境に貢献するための明確な方向性を打ち出さないと消費者サイドの理解が得られにくいと考える。
 従来からの、建築資材としての木材利用については増加を図るにしても、どの程度まで可能性があるのかということについてクールに分析を行い、同時に地球環境の持続に貢献する観点から、化石資源削減を目標とするバイオマスエネルギー利用促進を目指す、木質資源利用などの方向性を地域総参加型のシステムとして実現できれば、わが国のような比較的豊かな森林に恵まれている国では、将来性のあるプロジェクトとなりうると考えられる。
 

京都北山スギ林業地


愛媛・今治の複層林


佐渡のアテビ(ヒバ)林

 3) 地域内協働と地域間連携を進める発想

 森林関係の本格的な地域協働のプロジェクトとして、わが国では初めてといえる、京都モデルフォレスト運動がいよいよ本格的に始動することとなった。
 名実ともに地域総ぐるみの森林持続運動を目指すものである。
 名実ともにというのは、地域における産・官・学・NGOの本格的連携を試みようとしているところに特徴がある。
 先ず、産としては、資金協力、人的協力などの各種の参加方式が考えられるが、サントリー、日本生命、松下電器産業等々有力企業のパートナーシップ参加が期待される。
 学の面では、その知的集積を活かしての参加が期待されるところであるが、京都大学、京都府立大学の森林関係の学部・学科を有する伝統校はもちろんのこと、立命館大学、龍谷大学などこれまた伝統と特色のある大学、さらには各種研究機関の参加が期待される。 官については、知事を先頭に府の農林水産部局及び環境部局による新たな政策展開の推進機能の発揮と同時に振興局、林務事務所などと、市町村等の地方自治体、NGO、林業関係者等との連携活動が期待される。
 NGOとしては、各種ボランティアグループの参加のほか、前記有力企業の現役・OBグループによる森づくりや環境貢献活動の展開が見込まれる。
 またこれらの運動や森づくりなどの活動を支援するための推進センターとしての役割を果たす組織(京都モデルフォレスト協会(仮称))の設置も検討されている。
 さらに、今後、京都モデルフォレストの国際ネットワーク加入により、先進国、途上国を問わず、現に展開しているモデルフォレスト運動(世界各国で30以上の地域で活動が行われている)との連携・交流により、森林持続のための地域活動の強化・拡大はもちろん、地球温暖化防止などへの貢献も進むと考えられる。
 一方、国内においても、京都以外の地域での地域協働活動を行おうとする人々を勇気づけ、運動の展開を促進することになるであろう。
 また、次の段階として、地域間活動の連携と交流が進めば森林の持続を核とする地球環境活動の生きたモデルとして機能することになる。
 国際ネットワーク交流については、お互いの情報交流により、世界の森林関係者に共通する問題、例えば野生獣による植林木の被害対策などの協働も可能となるものであり、学術・文化交流、大学間の交流による研究の増進や学生の留学や外国での単位取得方式など人材育成面での効果も期待できる。
 さらにまた、各地域での協働活動が進展することで、政府その他行政部門が成果を適切に評価することによって、各種の政策に反映させることが可能になる。

 むすび

 今まで述べたことをまとめれば、豊かな森林を活かせるかどうかが地球環境を守れるかどうかの分かれ目ということになろう。
 このことは、特に日本においては、行動するタイプの人間が減って来ているように思われる昨今、活動的な人達を増やすことが重要課題である。
 われわれ年代の人間の経験に照らし合わせてものをいうことは、いささかはばかられるところではあるが、あの戦後のものもお金も無い時代から見れば、今は正に天国ともいっても良い時代になっているが、毎日耳に入る言葉は、ニート、自殺、犯罪、少子化、格差、拝金主義等々後ろ向きの話ばかりである。
 60年前は、小学生でも勉強さえしていればよい子であるといわれる時代では無かったことは確かである。
 筆者も中学卒業までは農作業はしていたので、勉強ほど楽なものはないという感覚であった。
 大人になってから、急に仕事をするようにといわれても無理があろう。
 家庭教育や学校教育のあり方なども議論されているが、テレビの討論番組などを見ていても、どうも的はずれに思われることが多い。
 要するに、大人になったときに、して欲しいことや、して欲しくないことは子どもの時から身に付くようにすれば良いと、少なくとも筆者は考えている。
 森づくりにしても森活かしにしても同じことで、子どものうちから参加することによって、残して守る木と伐って使う木の区別など、森林にとっても、いずれ大人になる子どもにとっても判断力や行動力などの資質が蓄積し上昇する筈である。
 森林経営の放棄が増えているとか地域材を使わない人が増えたといわれて久しい。
 ではどうすればよいか。
 いろいろな対策はあるだろうと思うし、またいろいろ試みられたこともあろう。そして、
それぞれ何がしかの効果もあったことであろう。
 しかし、根本策ということになると、やはり習慣的なものとして自分自身の身に付いたものが、恐らく一番効果があると思う。
 すなわち、土いじりなどを小学生の時から身につけておくと良い。 
 まだ仕事とはいえなくても、その年齢で可能な作業体験は少なくともしておくことが大切である。
 と思っていたところ、一年前にある小学校の総合学習の講師によばれて行ったときのことであるが、校長先生から小学校一年生の扱いが一番難しいと聞かされた。
 自分勝手な行動などが、早くも身に付いているのだそうである。
 となると幼児教育というのが大切なことも分かる。
 いずれにしても森や自然の中で小さいときから良い経験を積み重ねることは、現在の社会問題の解決にも一役買うことになると思う。
 森林塾などの経験を通じ、同じ志を持って活動をしているグループや個人が多く存在することが分かったので、極最近、新しいネットワークを結成したところである。
 名称は、森林環境協働ネットワーク(略称は森の協働ネット)とした。
 今は小さな芽に過ぎないが、今後大きく育つことを願っている。したがってグループ参加も個人参加も歓迎したい。
内容を知りたい方は、森の協働ネットのホームページ(httm://www.infowood.jp/ )を訪問していただきたい。
 読者の皆様と共に活動して参りたいと思っている。
(平成18年6月15日)

注、本稿は、月刊ゆか、2006年7月号に掲載したものである。
   なお写真は、ホームページ用に編集したもの。


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